2023年11月14日火曜日
第1551回例会(大竹年度第14回)
大竹一晴会長挨拶
去る9月30日に小国RC創立50周年記念式典に出席してきました。
記念講演は加茂水族館の名誉館長の村上龍男氏のお話でした。
全部庄内弁でのユニークな講演でした。加茂水族館は男鹿水族館とマリンピア日本海という大きな水族館の間に挟まれてお客も少なく倒産の危機に直面していました。そんな折館長を任されてそこから彼の長い闘いが始まりました。鶴岡市はここに見限り民間に譲渡に踏み切り職員も館長の村上氏だけが残り他は辞めてしまいました。この鶴岡市のやり方にかなり憤りを感じ、講演のところどころに「市役所関係の人はいませんよね?」と念を押しながらお話をされていました。結局その民間会社の経営も思わしくなく、私募債の募集等で再び市の経営にもどったようでした。何とか入館者数を増やそうとラッコを2頭仕入れましたがそれでも入館者は増えません。ちなみにラッコ1頭1500万円だったそうです。現在はラッコの取引は禁止されています。そこで目を付けたのがクラゲでした。飼育方法もわからず当時クラゲを7種類飼育していたのが江の島水族館だったのでクラゲを8種類以上飼育し日本一のクラゲ水族館にしようと雇ったのが今の館長でした。彼は庄内農業高校出身で学校の成績もかんばしくない男でした。
何種類かのクラゲを飼育しましたがうまくいかず、それでも1種類のクラゲのポリプを育てることに成功したそうです。彼はものすごい頑張り屋で必死にクラゲの飼育にのめりこんでいきました。市役所の職員などはありきたりの仕事でことなかれ主義ではとても使い物にならなかったそうです。(ここでも市役所の悪口がでます)。やはり人材は学歴や試験の成績ではなく人物そのものなんですかね。そしてその館長が次第にクラゲの種類を増やしていきついに日本一のクラゲの種類を展示できるようになり、いまではアメリカの世界一のクラゲ水族館を追い越して世界一になりました。
名誉館長が言うには米沢から水族館に来てもらっても日帰りで帰ってしまっては何にもならない。広く県外から人が来てくれれば地元を含め大きな収益に結び付くという考えで広報活動に全力を傾けたそうです。テレビに出演したりとあの手この手で宣伝をしました。
私はダイビングをしますが、春先の海がまだ冷たい内は加茂水族館の横でよく潜っていました。時々水族館に足を運びましたが、当時は見るも無残なぼろい壁のペンキもはがれた建物でした。それが見事に復活しました。苦労話はまだまだたくさん語られました。有名なプロ野球の選手やタレントの話を聞くよりずいぶんためになったお話だったと感じました。
幹事報告 髙橋則雄幹事
プログラム
第1550回例会(大竹年度第13回)
大竹一晴会長挨拶
昨日沖郷地区の敬老を祝う会に出席(というより副実行委員として)しました。
山形県での100歳以上が1000人を超え南陽市でも正確ではありませんが70人
と聞いています。当日出席者での最高齢は96歳(昭和3年生まれ)数え年でした。
当日は沖郷中学校ブラスバンド、津軽三味線、民謡、ハーモニカ演奏と多彩な出し物でお年寄りの方々には楽しんで頂けたと思います。
高齢のベスト5の方にインタビューをするといずれもお話にユーモアのセンスがありなかなか面白いお年寄りでした。
75歳以上の参加でしたが、考えてみると10年後には私もこの参加者の中にいる可能性があるんだと考えると複雑です。(もういないことも含めてですが)
小中学生の代表の作文「うちのおじいちゃん、おばあちゃん」ではおばあちゃんがいつもごはんを作ってくれる、とかおじいちゃんが色々なことを教えてくれる、とかなかなか微笑ましいものでした。こうやっていろいろなことが下の世代に引き継がれているんだなと感じました。お年寄りのいないか家庭ではこういうことが希薄になっているような気がします。ゲームに夢中になっている子供たち、それが行き過ぎて学校に行かなくなったり、引きこもりになったり、そんなことが現実に起きています。
幹事報告 髙橋則雄幹事
スマイル
和田廣君…米山記念奨学会より感謝状をいただいたので。第1548回例会(大竹年度第11回)
大竹一晴会長挨拶
幹事報告 髙橋則雄幹事
プログラム
第1547回例会(大竹年度第10回)
大竹一晴会長挨拶
伊藤ガバナーそして佐藤ガバナー補佐ようこそ南陽市へ
連日の猛暑も昨日あたりからやっと秋の気配が感じられるようになりました。
私は自宅で家庭菜園をやっているのですが秋野菜の苗はすでに枯れてしまい、新たに苗を購入しなければなりません。朝晩水をやって世話をしていますがやはり過保護のおぼっちゃんなのでしょうか。辺りを見回すと雑草が勢いよく伸びてきています。この暑さの中水も貰えないのになんという生命力の強さなんだろう、と感心します。
人生もこの雑草のようにありたいと思うのは私だけでしょうか?
さてここ熊野大社と隣の双松公園は私の子供の頃からの遊び場でした。今は絶滅した「ガキ大将」の子分として泣かされそれでも遊んでもらいたくてくっついていた記憶があります。
赤湯温泉は30年以上毎朝公衆浴場に通い続けています。毎日温泉に入れて羨ましいと他地区の方にはよく言われます。
幹事報告 髙橋則雄幹事
伊藤三之ガバナー公式訪問
(兼)第6グループB班会長幹事ガバナー懇親会
第1546回例会(大竹年度第9回)
大竹一晴会長挨拶
今日は「人生の目的」「人生の目標」について私自身のことについて話をしたいと思います。
「人生の目的」は何なのかよくわかりませんが私は自分の人生での最終目的地ではないかと思います。そして「人生の目標」はここまではたどり着きたいという一つの終着地点のように考えます。たとえば大学はここに入学したい、という第一志望。試験に合格し、自分の事務所を持ちたいという目標。以前ご紹介した菜根譚では人生の8割は思い通りにいかない、と言っていますが、我々凡人には人生ほとんどのことが思い通りにならないのではないでしょうか?案の定大学は第一志望に落第し、税理士試験は受けても受けてもなぜか合格しない。進路変更は今更できず結局合格するまでかなりの年数を費やしてしまいました。ただ遅ればせながら目標である自分の事務所を持つことができました。そして私は47歳の時初めて娘を授かりました。実に結婚してから16年の歳月が流れていました。家内の心労も想像するにあまりありません。娘が誕生し、その時思ったことは、この子が大学を卒業するまでは何とか頑張って仕事を続けよう、そしてこの子が社会人となって何を生業としていくのか、そこまでは見てみたい。と思いました。それが「人生の目的」になりました。
本来なら65歳で定年退職そして年金生活、そこから大学を卒業するまで子供にお金がかかる。そんな仕事をしていたらどうしていただろう。つくづく今の職業で良かったとおもいます。子供が生まれた時、そうあと23年何とか頑張ろうと思ったのが残りあと4年になりました。70歳になってその時がきたら一旦立ち止まって見ようと思います。そのあとは何をしようか考えて見ようと思います。朝起きて今日の夜には自分の通夜かも知れないと考えた時、新しく何かに挑戦しようと思うかどうか。私は今はこう考えています。70歳になって事務所は後継者に渡し、これまで長い国家資格の試験勉強でいつの間にかどこかに忘れ来たなにかを拾いに行こうと。